現在位置 ホーム > 月・木・SAY 職員のささやき > 生涯学習課・埋蔵文化財センター・公民館 > 飯島 章 > 今年は辰年、辰にちなんで龍禅寺(飯島章)
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令和6年(2024)もすでに1か月が過ぎました。
今年は辰年になります。辰は、十二支の中で唯一実在しない空想上の動物(霊獣)の龍になります。
そこで今回は、龍にちなんで市内米ノ井にある龍禅寺を紹介します。
場所は下の地図もご参照ください。
関東鉄道常総線の稲戸井駅からは徒歩で約10分、常総線はこの区間では日中は1時間に3本、約20分おきに運行されていますので、交通の便には恵まれています。
寺伝では龍禅寺の創建は平安時代の天慶(てんぎょう)2年(939)とされています。
平将門の伝説と深く結びつき、将門は境内の三仏堂で生まれたとも、また武運長久を祈願するために龍禅寺に詣でた将門の眼前で井戸から米が噴き出してきたので、将門はこれを瑞祥(ずいしょう)と大いに喜び、この地を米ノ井と名付け、三仏堂を寄進したとも伝えられています。
将門伝説に彩られた三仏堂は、現在市内唯一の国指定重要文化財となっています。
三仏堂について詳しくは、「取手市の指定文化財等一覧」のページをご参照ください。
三仏堂が建立されたのは16世紀の前半、室町時代の終わりごろで世にいう戦国時代になります。
将門の時代の平安時代にまではさかのぼれませんが、関東では江戸時代より古い建造物はほとんど残っていないので、貴重な文化財になります。
昭和59年(1984)から61年にかけて、可能な限り建立当初の姿に戻す全解体修理が行われています。
下の写真は、解体修理が終わり、建立当初の姿に復原された三仏堂です。
(取手市教育委員会所蔵)
私事になって恐縮ですが、はじめて龍禅寺にお参りしたのは昭和52年2月4日でした。
その時にいただいた御朱印が下の写真になります。
(筆者蔵)
右上には新四国相馬霊場八十八か所(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)の第四十七番と第七十九番の印が押され、中央には本尊阿弥陀如来と墨書されています。
前年、昭和51年のNHKの大河ドラマは海音寺潮五郎氏原作の「風と雲と虹と」でした。
主人公は平将門です。「風と雲と虹と」については、NHKアーカイブズ(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)をご参照ください。
源平合戦、戦国時代、幕末期が王道の大河ドラマのなかで、抜きんでて古い時代になる平安時代が舞台でした。
今年の大河ドラマ「光る君へ」も平安時代が舞台ですが、将門の時代よりは新しい摂関政治の最盛期の物語です。
龍禅寺が将門の伝説と深いつながりのあり、常総線の稲戸井駅からは徒歩でも10分くらいと知り、龍禅寺に詣でました。
当時の常総線は、朝夕でも15分から20分間隔の運転で、日中は1時間に1本かせいぜい2本の運転でした。
三仏堂も解体修理前でした。下の写真は、解体修理前の三仏堂です。
(取手市教育委員会所蔵)
春とは名ばかりの寒空の下、風雪に耐える三仏堂の姿は、夢破れて坂東の地で最期を遂げた将門を彷彿とさせるものがありました。
ちなみに三仏堂の名称は、堂内に釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩の三体の仏像がまつられることに由来しています。
下は、新四国八十八か所の第四十七番札所の三仏堂の御朱印です。
平成6年(1994)から7年にかけて、新四国相馬霊場八十八か所を数回に分けて順礼した時のものです。
(筆者蔵)
次は、同じ第七十九番札所の龍禅寺ご本尊阿弥陀如来の御朱印です。
(筆者蔵)
この時から30年が経ちました。
今回紹介した御朱印は、現在いただけるものとは少し違うようです。
また現在でも同じ御朱印がいただけるかは、確認していません。
今回も長文になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
昭和52年に初めて龍禅寺に参拝してからすでに47年、約半世紀の歳月が流れました。
この時は、自分がその後取手市役所に勤めて文化財を担当するようになろうとは、夢にも思いませんでした。
47年は本当に夢のように過ぎ去りました。
今年は辰年、辰にちなんで今回は龍禅寺を紹介しました。