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更新日:2024年3月10日

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取手の橋を訪ねて(その4)(飯島章)

ご無沙汰をしてしまいましたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

今回紹介する橋は、市内岡地区にある台橋(だいはし)です。
場所ば下の地図をご参照ください。

写真は下になります。東側から見たものです。
市内岡地区にある台橋を東側から見た写真
小さな橋ながらも親柱が4本立っています。
上の写真の左側親柱の銘板が下になります。
市内岡地区にある台橋を東側から見て左側の親柱
「台橋」と漢字で書かれています。
右側の親柱の銘板が次の写真です。
市内岡地区にある台橋を東側から見て右側の親柱
「表郷用水路」(おもてごうようすいろ)と漢字で書かれています。
表郷用水は、岡堰の用水の分水路の一つです。
すぐ近くに岡堰があります。岡堰から取水した用水は、台橋の西側で表郷用水と裏郷用水に分かれています。
台橋は、表郷用水に架けられた橋になります。
次の写真は、西側からみた台橋です。
台橋を西側から見た写真
左側の親柱の銘板が下の写真です。
市内岡地区にある台橋を西側から見て左側の親柱の銘板
写真でははっきりしませんが、かなで「だいはし」と書かれています。一文字目は変体仮名で「多」のくずし字に濁点、二文字目は同じく「以」のくずし字、三文字目は同じく「者」のくずし字、四文字目は「し」になります。
三文字目には濁点はないようで、「台橋」の読みは「だいばし」ではなく「だいはし」になります。

右側の親柱の銘板の写真が次です。
市内岡地区にある台橋を西側から見て右側の親柱の銘板
こちらも写真でははっきりしませんが、「昭和三十九年三月竣功」と書かれています。
昭和39年は1964年ですから、いまから60年前です。
台橋は、まさに還暦を迎えた橋になります。

昭和39年の最大の出来事は、アジア初のオリンピック夏季大会である東京オリンピックの開催(10月10日から24日まで)と、オリンピックの開幕に先立ち10月1日に世界初の高速鉄道である東海道新幹線の東京・新大阪間が開業したことです。

時代は実質経済成長率が毎年10パーセントをこえる高度経済成長期、コンクリート製で竣功した台橋を見た人びとの目には、限りなく光り輝く未来が映っていたことでしょう。

 

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