現在位置 ホーム > 月・木・SAY 職員のささやき > 生涯学習課・埋蔵文化財センター・公民館 > 飯島 章 > 取手の橋を訪ねて(その1)(飯島章)
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またまたご無沙汰してしまいました。
今年も今日を含めて残り10日となりました。皆様には年末をいかがお過ごしでしょうか。
「取手の火の見やぐら」はお休みをいただきます。
今回紹介するのは、市内清水にある「釜神橋」です。
江戸時代には水戸街道だった道にあります。
場所は、下の地図をご参照ください。西浦川に架かっています。
写真は下になります。北側から南側を望んで撮影したものです。
向かって左側(東側)の親柱に、銘板が埋め込まれています。
下が銘板の写真ですが、全体的に文字が薄くなっていて判読しずらくなっています。
南側の向かって左側(西側)の親柱にも銘板があります。次の写真です。
こちらの銘板は、文字が比較的よく残っていて「四十四年三月竣功」、「釜神橋」と読むことができます。
写真は下になります。
銘板からは、昭和44年(1969)3月に竣工したことがわかります。当時このあたりは藤代町でした。旧取手市も、当時は市制施行前で取手町でした。市制施行は翌昭和45年の10月1日です。
さてこの橋の最大の特徴は、コンクリート製の欄干(らんかん)にあると思います。
写真は下になります。なかなか凝ったつくりになっています。
ところで西側の欄干の3スパンは、色合いや表面の肌合いから新しいことが見て取れます。
下の写真です。
おそらくは車にぶつけられて破損したのを、元の欄干の形そのままに修理したのでしょう。
なにかこだわりのようなものを感じるのは、考えすぎでしょうか。
竣工から半世紀の時を経て、昭和の余薫のこる釜神橋は、今なお水田が多く残る周囲の景観にすっかりと溶け込んでいるように感じられます。